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【川西地区】

江口太鼓台

〔氏  神〕 一宮神社
〔校  区〕 金子校区
〔自治会〕 江口自治会


平成12年 10月18日 大江浜
太鼓台担ぎの先生 江口太鼓台

(現在の江口太鼓台)

 現在の江口太鼓台の飾り幕は、昭和52〜53年に新調されたものです。布団締めは淡路島の梶内縫師作。上幕・高欄幕は観音寺の高木縫師作です。重は9段。重の旗は昔から「江口」の文字と桜模様に「江口」の2枚セットです。房は平成4年に新調し、薄水色のものに戻されました。伊達巻き及び幕の乳の布はともに水色です。天幕は昔から赤白縦縞ですが、正面から見て横向きに付けています。
 布団締めは、先代の形を引き継いでいると思います。上幕は、陽明門・三仏殿・輪蔵殿・二天門となっています。このうち独特なのは、陽明門が正面から見て逆向きになっていることです。高欄幕は、石橋・2匹の獅子・三仏殿と輪蔵殿・華精門と安楽殿です。
 ここは昔から担ぎ上手で、新居浜一の名で通ってました。昭和56年頃のビデオを見ると、まるで車を付けているかのように軽く担ぎ、房が嘘のように綺麗に割れています。太鼓の叩き方にも特徴があり、ドン・ドン・ドン、ドン・ドン・ドン、ドン・ドン・ドン、ドン・ドンの繰り返しで、大変リズム感があります。太鼓係も名人の方がおられ、他所に教えに行ったりもしていたようです。又、太鼓も非常に良いものだそうです。

 そして、太鼓台の担ぎ方として、小勇み・チョキチョキ・大振りと言われるものがあるようですが、元々はこの江口太鼓台独自の技だったと聞いています。
 太鼓台の形は非常にバランスが良いと思います。どこの太鼓台の形が一番好みかと問われれば、自分は江口太鼓台だと答えると思います(←あくまで個人的な意見です)。
 又、ここは昔から担き棒を結ぶのに、伝統的にカズラを使用していましたが、平成3年の工場前での事故以来、使用していないようです。
 喧嘩では、古く明治時代には、久保田河原で大江太鼓台と石投げ合戦をしたという言い伝えが残っていますが、昭和時代以降は、同じ金子校区の久保田太鼓台と古くからの因縁の歴史があり、昭和41年頃には一宮神社前で喧嘩をしています。それ以前もその後も色々とあったようですが、記憶に新しいのは、昭和59年、平成9年、平成12年の喧嘩でしょう。
 本祭以外では、平成7年の大晦日から平成8年の元旦にかけて、西町太鼓台とともに一宮神社に出場。又、平成9年には中須賀太鼓台・西町太鼓台と、平成17年には西原太鼓台とともに新居浜夏祭りに出場。平成15年8月10〜17日、平成20年8月10〜16日の期間、イオンショッピングセンターに展示されました。

昭和62年 10月17日
市制50周年記念河川敷統一寄せ


昭和30年代後半 大江浜
房が踊るように割れてます。

(先代江口太鼓台)

 この先代太鼓台は、天幕の図柄や付け方、布団締め、上幕・高欄幕の図柄、重の旗等ほとんどの部分が現在の太鼓台とそっくりです。ただし、上幕は1枚ものになっています。
 飾り幕は大正10年〜12年に、山下縫師により制作されたようです。但し、高欄幕のみ高木縫師作。図柄は現在とほぼ同じです。この幕は、昭和53年頃に土居町上野の泉太鼓台に売却されています。その後、泉太鼓台は平成11年に新調されましたが、この先代江口の幕は、現在、個人所有になっているようです。
 この左写真では、かき夫は法被を着ていないようですが、指揮者や重係は既にジャージを着ています。まさに水色一色で、何となく時代を感じさせますね。この場面はまさに、小勇みで房を割りながら大江浜に入場しているところでしょうか?
 この太鼓台は、昭和45年8月20日・21日に大阪府で開催された「万国博覧会」に、新居浜を代表して、大江太鼓台とともに出場し、その「お祭り広場」でも素晴らしい見事なかきっぷりを披露してきたようです。
 やはり、江口太鼓台には、房をきれいに割るこの見事なかきくらべが一番良く似合う。と、個人的にそう思います。


(先々代江口太鼓台)

 先々代の布団締めは、阿吽とも現在にはないような独特な形をしており、阿龍の宝珠の位置が先代以降とは違っていたようです。
 高欄幕は、「志度海女の玉取」の続き図柄でした。一宮神社秘蔵写真集によると、書籍『新居浜太鼓台』で旧中須賀太鼓台だと言われている坂出市浜西太鼓台の高欄幕は、先々代江口太鼓台のものに酷似しているようです。実際はどうだったのでしょう。


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